2010年07月01日

新捕鯨委員会?

農相 捕鯨支持国と協議機関も
6月29日 14時59分
山田農林水産大臣は29日の閣議後の記者会見で、捕鯨国と反捕鯨国の対立が続くIWC=国際捕鯨委員会について、「新しい協議の場の設置を考えていくのも1つの選択肢だ」と述べ、捕鯨を支持する国と捕鯨について協議する新たな機関を設置することも検討する考えを示しました。


NHK

そうこうするうちに11月には国際司法裁判所に訴えられそうな状況。IWCってなんだかプロレス団体みたいな感じがしてきた。国際プロレスとか昔あったし。
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2010年06月23日

どこかずれてるクジラ論争



一見すると南氷洋捕鯨半減なら捕鯨反対国にとってもそう悪くない話のように思えるが、現状が1500頭なのでそれでも多すぎるということか。「調査」に1500頭は確かに多い。750頭でも違和感がある。いいとこ75頭ぐらいかな。沿岸捕鯨と両方と思うからややこしくなる。両方を望むなら沿岸捕鯨の頭数を減らすとかしないと妥協にならない。元々沿岸捕鯨承認の代わりに南氷洋捕鯨禁止で1対1なのだから、沿岸捕鯨+南氷洋半分は1・5になる。1・5対0・5を主張して相手が譲歩しないと言うのは変。
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2010年03月16日

Video: 'Stop serving whale'



ロサンゼルスのすし屋でクジラ肉が出された件で、米国人はまだ収まりが付かないらしく、ごらんのようなデモ行進まで行われているらしい。海獣類の肉は特別な許可がないと販売が違法になるというのもあって怒っている。一方で日本では捕鯨業者が集まって反反捕鯨のデモやったとか。
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2010年03月15日

意外と和風のものが少ないクジラ料理

クジラ料理 レシピ集

なんだかな〜、洋風とか中華風が多くて、ちょっと驚いてしまいました。江戸時代からの鯨料理って、もうほとんどないんですね。うまそうだけど、伝統とは言いがたい料理がほとんどのようです。捕鯨を正当化しようと思ったら江戸時代のクジラ料理の復元とかやればいいのに、そういう話は何故だか聞いたことが無い。一般に言われているクジラ料理の伝統って古くても明治以降の料理を指すみたいだ。昭和の料理ってもう伝統料理なんだろうか?個人的にはクジラが養殖できるんだったら、食うかもしれないけど、野生動物だからしかたないと思う。クジラの海洋牧場とか出来たら随分話が違ってくるのかも。マグロの養殖は可能らしいけど、クジラは無理だろうねやっぱり。
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2010年03月09日

豪州の反捕鯨は日本が標的だったのではなかったようだ

Whaling stations in Australia and New Zealand killed over 40 000 humpback whales on their migrations from the Antarctic Ocean to the warm tropical waters north of Australia. Whaling ceased on humpback whales in 1963, and they were protected worldwide in 1965 after recognition of a dramatic global decline in numbers.

オーストラリアとニュージーランドの捕鯨根拠地は彼らの南氷洋から暖かい熱帯のオーストラリアの北の水域まで移動し40 000頭以上のザトウクジラを殺しました。 ザトウクジラの捕鯨は1963年にやみました。それらは世界中での激減の認識の後、1965年に世界中で保護されました。

Commercial whaling continued on sperm whales until 1978, with 16 000 taken from 1952 in Australian waters until the end of commercial whaling in 1978.

マッコウクジラの商業捕鯨は1978年まで続きオーストラリアの水域で1952年から1978年の商業捕鯨の終わりまで16 000頭が獲られました。

Commercial whaling in Australia ceased in 1978 with the closure of Australia's last whaling station, the Cheynes Beach Whaling Company, in Western Australia. In 1979 Australia adopted an anti-whaling policy, putting a permanent end to whaling in Australian waters. At the same time Australia started to focus heavily on working towards the international protection and conservation of whales. The 25th Anniversary of Australia's anti-whaling policy was celebrated in 2004.

オーストラリアでの商業捕鯨は1978年に西オーストラリアのCheynes Beach Whaling社がオーストラリアの最後の捕鯨基地を閉鎖してやみました。 1979年にオーストラリアは、オーストラリアの水域で捕鯨を永久的に終了する反捕鯨政策を採りました。 同時に、オーストラリアは、大いにクジラの国際的な保護をめざして努力して、保護に焦点を合わせ始めました。 オーストラリアの反捕鯨政策の第25Anniversaryは2004年に祝われました。

Whales today
Since the International Whaling Commission (IWC) moratorium on commercial whaling came in to place in 1986, many whale populations have begun to recover. The Southern Right Whale, which was nearly extinct by the middle of the nineteenth century, is now showing signs of recovery. In recent years, growing numbers appear off the southern Australian coast, where breeding and socialising behaviour occurs before they head south to feed in the nutrient-rich Antarctic waters.

今日のクジラ
1986年に国際捕鯨委員会(IWC)により商業捕鯨が一時禁止に入って以来、多くのクジラの人口が回復し始めました。 南部のセミクジラ(19世紀のなかばまでにはほとんど絶滅していた)は現在、回復の兆候を示しています。 近年、増加している数は南オーストラリアの沖から現れます。そこでは、栄養物豊富な南極水域に南に行く前に養育と社会的な行動がされています。

http://www.environment.gov.au/coasts/species/cetaceans/history.html

 19世紀までは豪州も主要な捕鯨国だったが、絶滅寸前まで追い込んだことを反省し1978年には中止している。日本が調査捕鯨を始めたのはまさにその1978年で、人がせっかく保護しようとしてるのに、遠くから来て、なんてことしやがるというのが反発の理由らしい。長いことなんであんなにムキになるのか不思議だったが、どうやらそういうことみたいだ。別に日本にのみ反発してたんじゃなくて1930年代頃から反捕鯨は始まっている。

となるともう沿岸捕鯨だけでいいんじゃないかと思う人は、署名にご協力お願いします。
↓(豪州政府と違って全面禁止を訴えるものではありません。)

http://www.shomei.tv/project-1460.html
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2010年02月09日

調査捕鯨に関する違和感の元

実際のところ、日本政府が国際社会に対して公海調査捕鯨の正当性を訴える根拠は、「調査捕鯨は国際捕鯨取締条約(ICRW)第8条に基づく国際捕鯨委員会(IWC)加盟国の権利である」というただ一点のみである。
 しかし、ICRWの前段となる国際捕鯨取締協定が署名された1937年当時、現在日本が南極海と北西太平洋で行っている商業捕鯨と同規模の調査捕鯨はまったく想定外だった。条約を起草した鯨類学者も、「新種の発見等を目的に、規模としては10頭程度を目安に」と考えていたのである。それが1950年代以降、旧ソ連などが禁漁期に100頭規模の捕鯨を行う名目として使い始め、調査捕鯨の看板がIWCの規制の縛りを逃れる口実に用いられるようになった。日本による現行の調査捕鯨のモデルとされる、1978年に行われた240頭の南半球産ニタリクジラの調査捕鯨は、発足したばかりで赤字に陥った共同船舶の経営救済手段として、水産官僚が提案したものだった。
 「科学的調査捕鯨の系譜:国際捕鯨取締条約8条の起源と運用を巡って」(環境情報科学論文集 '08/22号)


janjan

 なるほど、そうだよね〜、調査っていうと「新種の発見等を目的に、規模としては10頭程度を目安に」ってのが自然だよね。調査捕鯨って一体、何を調査しているのか不思議だったが、長年の謎がひとつ解けたような気がする。

 共同船舶の経営救済手段として、水産官僚が提案したものってことだけど共同船舶って、結局、水産官僚の天下り先ってことか。水産官僚の老後のために調査捕鯨の名目で将来の見込みのない産業に税金投入という図式が見えてくる。どうりでネット上で政治問題化するわけね。いつ事業仕分け対象になっても不思議はなさそう。鯨問題って天下り問題だったんだ。環境問題のようで、実際は別の側面を持つ問題って案外多いのかもしれない。

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2010年02月01日

結構深刻な鯨の水銀汚染

毛髪の水銀濃度平均の10倍 鯨肉消費多い太地町
 沿岸に生息する小型鯨の一種、ゴンドウクジラの肉などを食べる機会の多い和歌山県太地町の住民の毛髪中水銀濃度は、日本の平均値の約10倍と高く、肉に含まれる高濃度の水銀が原因とみられるとの調査結果を北海道医療大(北海道当別町)と第一薬科大(福岡市)などのグループが21日までに突き止めた。海洋汚染に関する国際雑誌に近く発表する。

 グループの遠藤哲也北海道医療大准教授は「海外の研究結果からすると、健康影響が出てもおかしくないほど高濃度の水銀が検出された住民もいる。健康状態や汚染の実態の詳しい調査が必要だ。水銀の汚染度が高い鯨肉の消費を減らす努力も必要だろう」と話している。


共同通信

やっぱり、もう食用にするのは無理じゃないのか?食物連鎖の頂点にいるってことは、もっとも汚染されてるってことだろ?
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2006年05月27日

イルカがお医者さん

 地中海に面したトルコ・アンタルヤのプールで、イルカ療法を受ける自閉症のオランダ人少年。ここでは専門家による指導の下、自閉症や脳性まひを患う子供たちが水中でイルカと戯れ、心身を癒やしている(25日)
【AFP=時事】
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2006年05月10日

イルカ、「名前」告げあいさつ

 水族館などで人気者のバンドウイルカは、お互いに「名前」を告げて意思を伝え合っていることを、英米の研究チームが実験観察で確かめた。人間以外の動物で、名前のような「身元情報」を伝え合っているのが確認できたのは、初めてだという。今週の米科学アカデミー紀要(電子版)に論文が掲載される。

 バンドウイルカは、自分に特有の「口笛」のようなかん高い声を発し合い、仲間であることを確認している。相手の口笛をまねしたり、飼育下で物体を指し示す新しい口笛を覚えたりするため、口笛は名前として使われているのではと推察されていた。

 研究チームは、単に仲間の声に反応するのか、声が伝える内容に反応するのかを見極めるため、口笛から声の特徴を電気的に取り去り、海中のスピーカーから流した。

 その結果、14頭のうち9頭は、なじみの口笛から作った音に極めて敏感に反応し、スピーカーの方をたびたび振り向いた。これで、声ではなく内容に反応していることがわかり、どのイルカが発しようと口笛は「名前」として使われていると判断できた。

2006年05月09日12時27分asahi.com

イルカは鏡の中の自分を自分と認識できるというし、ザトウクジラは1時間にもおよぶ決まったメロディーがある”歌”を寸分違わず歌うという。
チンパンジーが道具を使った程度で昔は大騒ぎしていたらしいが、人間ばかりが特別でもないのかも。
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2006年04月30日

タンザニア:イルカ、浜辺4キロで大量死 ザンジバル島

 アフリカ東部タンザニアからの報道によると、国際的な観光地として知られる同国東部インド洋のザンジバル島北部で28日、イルカ200−400頭が浜辺約4キロにわたって乗り上げ、死んでいるのが見つかった。死因は不明。

 イルカの胃袋は空っぽで、毒物とは関係なく、方向感覚を失っていた可能性があるという。

 政府は死んだイルカの肉を食べないよう国営ラジオで訴えているが、地元住民らは肉を切り取って自宅に持ち帰り食べているという。

 ザンジバル島は、さんご礁や白い砂浜で欧米諸国の観光客に人気がある。(ナイロビ共同)

毎日新聞 2006年4月29日 12時27分


カズハゴンドウ衰弱死
高萩
 高萩市の高浜海岸で二十八日朝、クジラのカズハゴンドウが波打ち際に打ち上げられているのを、通りがかった人が見つけた。通報を受けた消防署員らが救助活動に当たったが、衰弱が激しく、間もなく死んだ。

 このクジラは体長二・六メートル、体重二六〇キロ前後の成獣で、性別は雄。同日午前九時四十五分ごろに発見されたが、すでに自力で泳ぐことはできなかったという。

 死因を調べるため現地を訪れた、アクアワールド県大洗水族館の島田正幸海獣展示課長は「通常は数十頭ほどの集団で行動している。エサを追い求めているうちに浅瀬に迷い込んでしまい、方向感覚を失ったのではないか」と話した。 (生島 章弘)

中日新聞

2006年04月24日 別海町にミンククジラ漂着

 23日午前、別海町の野付半島ネイチャーセンター近くの砂浜にクジラが打ち上げられているのを、ホーストレッキングを楽しんでいた人たちが見つけて町に連絡した。同センターなどによると、発見されたのはミンククジラの雌ですでに死亡していた。 専門家が調べたところ、体長は約7メートルで若い成獣とみられる。体重は推定5―6トン。死んだ個体が波によって打ち上げられたらしい。野付半島にクジラが打ち上げられるのは2年ぶりという。死体は別海町によって処分される見通しだが、同センターの森田正治センター長は「頭部だけでも骨格標本にできたら」と話している。

釧路新聞

ストランディングの原因は、ソナーの影響とか水銀汚染とか色々言われているが多くは不明。
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2006年04月08日

鹿児島湾でイルカ繁殖か 水族館の生態調査で判明

 南太平洋の沿岸部を中心に生息するミナミハンドウイルカが、鹿児島湾内で繁殖している可能性の高いことが、かごしま水族館(鹿児島市)の生態調査で分かった。都市部の近海に多数のイルカが生息し、繁殖する例は珍しいという。

 同水族館によると、昨年1月と11月に航空機や船で行った調査で、ミナミハンドウイルカとハセイルカ計476頭を確認した。ミナミハンドウイルカは同じ個体が継続して発見され、1歳から2歳とみられる子イルカも確認されたことから、湾内に定住、繁殖している可能性が高いという。

 ミナミハンドウイルカは体長2―3メートル。日本でも小笠原諸島や奄美大島付近で生息が確認されている。かごしま水族館は「鹿児島湾にはえさとなる魚が多いことなどが繁殖の理由ではないか」としている。
(共同通信) - 4月7日6時45分更新

鹿児島県では笠沙町沖でもクジラウォッチングが出来る。九州では他に熊本県五和町でイルカウォッチングが行われている。
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2006年03月05日

イルカ・クジラ類、座礁急増の謎

イルカ:岸乗り上げはなぜ? 磁場、海流、砂浜――GPS影響との指摘も /千葉

 ◇磁場、海流、遠浅の砂浜
 ◇外房で1カ月間に4件
 一宮町周辺で2月28日にカズハゴンドウ約70頭が海岸にあがるなど、千葉の外房海岸ではこの1カ月余りで、海にいる生きた生物が岸に乗り上げる「ライブストランディング」と呼ばれる事例が4件確認された。原因は解明されていないが、海洋船舶のGPS(全地球測位システム)などによる影響を指摘する研究者もいる。何がイルカたちを千葉に引き寄せるのだろうか。【寺田剛】
 銚子市でイルカウオッチングを主催して11年目の銚子海洋研究所の宮内幸雄(49)さんは、磁場、海流、遠浅の砂浜を原因の候補に挙げる。宮内さんによると、鯨類は磁場に沿って回遊ルートを決める。「磁場線が九十九里海岸に向かって走っていれば、イルカが打ちあがる要因になる」といい「電磁波を発生する船舶レーダーやGPSが、磁場に影響を与える可能性もある」。
 またイルカは、自分が発した音を耳でキャッチして移動するとされる。音波が吸収されやすい遠浅の砂浜では、耳が正常でも誤った方向に導かれやすいという。
 ストランディングは、00年以降、急増している、との指摘もある。日本鯨類研究所(東京都)によると、国内でのイルカやクジラの2頭以上によるライブストランディングは、1986年の調査開始から99年までの14年で14件(910頭)なのに対し、00年以降は22件(510頭)に達している。茂越敏弘研究員(35)は「確実に増えていると実感している」が、原因は特定されていない。
 茂越研究員によると、海外の文献では自殺説もある。「群れをなして行動するなど、イルカは社会性が発達した生物。自ら個体数を調節しているという研究発表もある」という。
 だが、決め手となる原因は見つかっていない。
 国立科学博物館(東京都)では01、02年に銚子市に接する茨城県波崎町(現神栖市)に打ちあがったイルカ計6体を解剖、調査した。動物第一研究室の山田格室長は「死に至る寄生虫や感染症などは見つからなかった」と話す。原因究明は、28日に死亡したイルカも調査している同所の研究成果を待つことになりそうだ。


 ◇千葉、茨城県の沿岸で生きた海せいほ乳類が浜にあがった主な事例
01年2月11日 茨城県波崎町(現神栖市)でカズハゴンドウ約50頭
02年2月25日 同町でカズハゴンドウ約85頭
06年1月23日 旭市でカズハゴンドウ26頭
   2月10日 御宿町で約4メートルのシャチ1頭
   2月22日 いすみ市、一宮町でカズハゴンドウ3頭
   2月28日 同所でカズハゴンドウ約70頭
 (注)国立科学博物館のデータベースと毎日新聞より抜粋

3月4日朝刊
(毎日新聞) - 3月4日13時2分更新

TVでは95年からストランディングは急増していると言っていた。95年と言うと阪神大震災の年。
97年ごろから温暖化による自然災害が急増。ストランディングの急増は何を意味しているのか?
海洋汚染とは関係ないのか妙に気になる。

関連記事
http://yanenoueno.seesaa.net/category/445177.html
http://yanenoueno.seesaa.net/article/5133047.html
http://yanenoueno.seesaa.net/article/5160732.html

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2006年03月01日

千葉イルカ救出:十数頭を船だまりに 時折泳ぐ姿も

 千葉県いすみ市の大東漁港で午後9時半ごろ、寺田剛写す 千葉県一宮町の九十九里浜・東浪見海岸で1日、砂浜に打ち上げられ取り残されていた約20頭のイルカの救出作業が前日に引き続き行われた。

 約50人のサーファーたちが早朝から、イルカに何度も海水を掛け、生きている十数頭をシートで包んでトラックの荷台に載せ、近くの太東漁港の船だまりに運んだ。イルカは衰弱しており、頭を水面から上げて何とか息をする程度だったが、しばらくすると時折泳ぐ姿も見られた。

 同海岸では28日にイルカ約70頭が打ち上げられた。救出作業で多くは沖に戻ったが、約20頭が取り残されていた。作業を手伝った同県いすみ市のプロボディーボーダー、大原美智代さん(30)は「泳ぎ始めるイルカもおり、生き続ける手応えを感じホッとした。昨日午後、今朝と救援したかいがあった」と話した。【寺田剛】

毎日新聞 2006年3月1日 11時06分 (最終更新時間 3月1日 12時09分)

その後NHKによると、一度は大半が海に還ったものの、翌日また60頭ほどが再座礁。
船だまりの20頭はその生き残りと報道された。

救助にかかわった皆様、お疲れ様でした。
民放のニュースによると、1月23日、2月22日に続き今年3回目。95年以降ストランディングは急増しているという。
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2006年02月28日

イルカ70頭打ち上げられる 九十九里浜

千葉県一宮町の九十九里浜に打ち上げられたイルカ=28日午後、共同通信社
 
 28日正午ごろ、千葉県一宮町の九十九里浜でサーフィンをしていた男性から「イルカが海岸に打ち上げられている」と同町役場に電話があった。この後、次々に打ち上げられ、最大約70頭に上った。
 鴨川シーワールド(同県鴨川市)によると「カズハゴンドウ」(体長2・5メートル)という種類のイルカ。地元住民やサーファー、シーワールド職員ら50人以上が救出作業に当たり沖へ戻したが、夕方現在で約40頭が海岸に残っているという。
 鴨川シーワールドでは「リーダー格が誤って岸に近づいてしまい、群れ全体が打ち上げられてしまったのではないか」と話している。
(共同通信) - 2月28日18時44分更新
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2006年02月11日

千葉県の海岸に子供のシャチ漂着

2月10日午後3時半ごろ千葉県御宿町(おんじゅく)の岩和田海岸の波打ち際に、シャチが乗り上げた状態になっているのを近所の住民やサーファーらが見つけ、町役場などに連絡した。鴨川シーワールドの職員らが保護して運んだが、瀕死の状態という。

 鴨川シーワールドによると、シャチは体長約4メートルで、四歳前後の子どもと見られる。シーワールドの粗一誠館長は「シャチは太平洋などに生息し、普段は家族で行動するが、このシャチは相当やせていることから、病気などで群れからはぐれたのではないか」と話している。

2/10熊日新聞



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2006年01月31日

茨城県の海岸でストランディング

茨城県北茨城市五浦(いづか)海岸に28日、全長14m体重25トンのマッコウクジラが座礁し死亡した。
数日前から泳ぐ姿が目撃されていたが岩場にはさまって死亡。死体は解体され海岸に埋められると言う。

・同市によると、28日午後3時半ごろ、近所の住民が「クジラが海岸で弱っている」と通報。市職員が見に行ったところ、既に死んでいた。〔共同〕

1月初旬にも小型鯨9頭が千葉県の海岸に打ち上げられている。
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2005年07月28日

7月の鯨漂着事件

昨日のニュースでまたしてもクジラ漂着事件。
今月3件目?まだ増えるかも。

2005年7月14日
コマッコウ:珍しいクジラが漂着−−高萩の海岸 /茨城

 14日午前6時15分ごろ、高萩市高浜町の海岸に鯨のような個体(死体)が漂着しているのを近くの松井紀代司さん(65)が見つけ、同市に通報した。同市では県大洗水族館に連絡し、15日午前、個体を調査したところ、珍しい鯨、コマッコウ(コマッコウ科)と分かった。標本部分を採取して砂浜に深く穴を掘って埋葬した。
 コマッコウは、銚子以南の沖合に生息しており、県内の海岸に漂着するのは珍しいという。同館の酒井孝・海獣展示課係長が調査した結果、コマッコウは体長2・8メートル、重さ約250キロの雄だった。ハクジラの種類で、単独で生活しているという。【臼井真】

7月16日朝刊
(毎日新聞) - 7月16日16時16分更新


2005年7月18日
鹿児島県の加世田市吹上浜で全長15・85メートルのマッコウクジラ1頭が打ち上げられた。砂に半分埋もれ、死亡していた。

2005年7月27日
神奈川県横須賀市、長井漁港 全長10メートル70センチのツチクジラが岩場にはさまってもがいていたが、死亡。致命傷は無く死因は不明。普段深海にいるツチクジラが何故岩場にいたのかも不明。


追加情報
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2005年07月19日

鹿児島でのマッコウクジラ漂着事件(ストランディング)

昨日、鹿児島県の加世田市でマッコウクジラ1頭が打ち上げられたというニュースが流れたが、2002年1月には同じ鹿児島県で14頭もの漂着事件が起きている。

1月22日午前8時10分ごろ、薩摩半島の西側で、東シナ海に面した鹿児島県大浦町の小湊海岸を散歩中の住民がクジラ14頭が打ち上げられているのを見つけ、県警加世田署大浦派出所に通報。

町役場や鹿児島市の「かごしま水族館」の職員が現場に駆けつけたが、海上は大しけで近づけなかった。

クジラは10頭前後が生きていた。傷を負ったものもあり、海は血で赤く染まっていたという、潮を吹いているクジラや弱い声を上げているものもいたそうだ。

消波ブロック沿いの長さ約100メートルにわたって打ち上げられていた。クジラは体長約10メートルで、種類はマッコウクジラと思われ、風と潮に流されたと推測された。

救出作業が23日行われ、1頭が作業船のクレーンで引き出され、沖合まで“えい航”
笠沙町の数キロ沖でロープごと切り離され、海に帰った。
笠沙町はホエールウオッチングで知られる町である。

残る13頭は死亡した。

合掌。 
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2005年06月10日

イルカな人々

1、野崎 友璃香
ドルフィン・ヒーリング研究家、著述家、DLコミュニケーションズ主宰。
青山学院女子短期大学卒業、電通でOL生活というバリバリのエリートだったはずが、ストレスでボロボロになり、「ドルフィンスイム」で救われる。ヒーリングやスピリチュアリティをアメリカで学ぶ。野生のイルカと一緒に泳ぐ各種プログラムをハワイ、日本、バハマで提供。2001年、結婚、ハワイ島へ移住。リラックス&ヒーリングを体験できる「ドリームランド・ファーム」を開いている

「イルカが導いてくれた幸福」講談社

「ハワイアンリラックスのすすめ」大和出版

「イルカと泳いだみたいに、気分がすっきりする本」大和出版

「イルカのアヌーからの伝言」マガジンハウス

イルカと逢って、聞いたこと」講談社

イルカにスピリッチュアルなものを求めるなら、この人。かなりディープな世界に案内してくれそうだ。HP ドルフィンワールド

2、高樹 沙耶

「マイ・ブルー・ヘヴン」(有)浪漫堂
女優からフリーダイバーに転身し、1年で日本記録を樹立 。

ハワイ島コナで、B‐planetを主宰・運営し、自然との共存を実践。日本では河口湖で「高樹沙耶のドルフィンスイムスクール」を開催

その後また女優に復帰したらしく、時々TVで見かけた。イルカと泳いでもいい意味で、娑婆っ気は抜きたくないならこの人。

3、小谷実可子

元から純粋な人なんでしょう。バハマでイルカと泳いでから、イルカとお天道様に顔向けできないことは出来なくなってしまったようだ。

「ドルフィン・ピープル」近代文芸社より

「1993年にバハマでイルカに出会って以来、私は年に一度、夏に再び彼らに会いに行くのを何よりの楽しみにしていた。もう一度スタビー(最も印象的だったイルカの名前)に会いたい。そのために頑張ろう。ただひたすらスタビーとの再会を励みにしていた。
 
 あの体中を見透かすような超音波。全身に響くチリチリという波動。こちらの顔も思わずほころぶ声と愛くるしい表情。再び会いに来てくれるには、私は常に心を透明にしていないと。汚い心の持ち主になってしまったらイルカは来てくれなくなってしまうだろうと思い、日々一生懸命、正直に生きたつもりだった。
 仕事で迷っても、『こんな事したらイルカは来てくれなくなる』と思うと避けて通った。」


ううっ、バハマに行ってもイルカが会いに来てくれるか自信がなくなってきた(笑)。
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2005年06月09日

ドルフィンスイム

ドルフィンスイムを楽しめる場所を探してみた。少し古い情報だが、
フロリダ、バハマ、ハワイ(オアフ島、ハワイ島)、伊豆諸島、小笠原

・バハマのイルカは世界一フレンドリーだそうだ。六日間も船の上で寝起きして、マダライルカとコミュニケーションする。シュノーケリングには絶好の地形。マジカルフレンドリーといわれるほど人間好きと言われる。

・ハワイのイルカも結構遊んでくれるらしい。

・小笠原のイルカはワイルドで精悍だが、あまり人間にかまってくれる訳ではないようだ。ハシナガイルカとバンドウイルカ。

ベッツィー・スミス博士は自閉症児の治療に、ホラス・ドブス博士はうつ病の治療にドルフィンスイムを使って成果をあげているという。

参考「イルカと逢って、聞いたこと」
野崎 友璃香 著 講談社

人間とイルカの共同漁法

西アフリカのモーリタニアでは人間とイルカが共同でボラ漁をしている。
産卵のためにやってきたボラの群れをイルカたちは海岸に追い込み、その海岸では村人たちが網を張って待っている。
村人たちがいっせいに海面を棒でたたくとイルカたちは、それを聞いて、ボラを海岸に追い詰めはじめる。沖に逃げようとするボラはイルカの餌になり、海岸に向かうボラは網にかかってしまう。
この挟み撃ち作戦は700年も続いている。
posted by アマサ at 20:34| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | イルカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月08日

ジャック・マイヨール(1927〜2001)

イルカというと、やはりこの人。伝説のフリーダイバー。
いまだになんで自殺なんかしたのか分からない。TVで見た陽気に沖縄でカチャーシーを踊る映像がまだ目に焼きついている。個人的には、うつ病にかかっていたことを周囲も本人も気づかなかったことによる「事故」だったと考えている。

1927年4月1日
上海のフランス租界に住む建築技師ローレン・マイヨールと妻マルセーユの間に次男として誕生。

 マイヨール一家は、毎年、日本の唐津で夏休みを過ごした。この海で6歳の時にはじめて素潜りを経験し、生涯の『心のガイド』となるイルカに出会う。

その後、父の故郷のマルセイユで過ごすが、高校卒業と同時に飛び出し、北極でエスキモーと共に暮らすなど、世界中を旅して回る。

1960年代初頭、ジャックはカリブ海に浮かぶケイコス諸島に小さな漁師小屋を構え、ロブスターを捕ったり、トレジャーハンターの手伝いをしながら、そこで毎日潜水の鍛練を重ね、素潜りで深さ30mまで行ける有能なダイバーとなっていた。

 そんな時、マイアミ水族館でイルカのクラウンと運命的な出会いをする。水族館で働きつつ、毎日時間が許す限り、クラウンと一緒に泳ぐ。

 「彼女は本当にたくさんのことを教えてくれたよ。」

映画グランブルーにもこのシーンはあるが、人とイルカは本当にコミュニケーション可能なような気がしてくる。

ヨガの呼吸法によって心拍数を落とせば閉息時間が延び、イルカたちのようにもっと長く息を止められるようになると考え、ヨガをマスターする。

 その頃、たまたまジャックの素潜りを見たヴィクトールという水中カメラマンが、世界記録への挑戦を勧める。そしてこの日から6カ月ジャックは本格的に潜水のトレーニングをする。

 1966年6月、ジャックはバハマのフリーポートで水深60mの閉息潜水に成功し、いきなり世界記録でセンセーショナルなデビューを果す。

それまでの記録は、エンゾ・マヨルカの54mだった。
ジャン・レノが演じていたグラン・ブルーのエンゾはこの人。

記録更新は熾烈を極め、同年の11月には、そのエンゾが水深62m
翌年にはロバート・クロフトが水深66m、
ジャックが70m、クロフトが73m、エンゾが74mと三つ巴の戦いが続き、クロフトの引退後、ジャックとエンゾの一騎打ちとなる。

1975年にエンゾが引退、その後はジャックひとりでの記録挑戦が続いた。

1976年、ジャックは、科学者たちが絶対に不可能と断言していた水深100mの壁を、ついに破る。

1983年には水深105mを達成。以後6年間、この公式世界記録は破られなかった。
ジャックはイルカと同じように潜水すると心拍数が減少したらしく、潜水三分後には40回/分と半分に落ちていたらしい。その結果水深3メートルのプールに四分九秒ももぐっていられたという。
これが体質なのか、ヨガの訓練の結果なのかはよく分からない。

 その後、標高4650mのハクラコカ湖での閉息潜水実験をはじめ、数々の実験を自らの肉体を呈して参加。さらに水中出産や乳幼児の潜水訓練といった分野にも積極的にかかわった。また多くの若いダイバー達を育てた。

 1988年には、ジャックをモデルにしたフランス映画『グランブルー』が公開され、大ヒット。著書『イルカと、海へ還る日』や『ホモ・ドルフィナス(イルカ人間)』も出版された。

しかし、グラン・ブルー以降、ジャックの心は病んでいき、孤独と絶望を訴え、2001年12月22日、74歳で自らの命を絶った。
多くの人に愛され、尊敬されていた男が何故、孤独と絶望の淵に追い込まれていったのかは謎のままである。
最近、彼の兄による、ジャックの死の真相をさぐる本が出た。

「マイヨール、イルカと海へ還る」
ピエール・マイヨール (著), 岡田 好江 (翻訳) 講談社
     
その他ジャック・マイヨールの本

海の人々からの遺産
ジャック マイヨール (著), Jacques Mayol (原著)

海底遺跡をバハマと沖縄与那国島にたずね、ポリネシア・マルケサス諸島の遺跡と比較することで、古代環太平洋文明とその担い手だった人々について検証。海・地球・人類への思いが語られている。

「イルカと、海へ還る日」ジャック マイヨール (著)
今となっては懐かしい映画「グラン・ブルー」の世界。

「海の記憶を求めて」 ジャック マイヨール (著)
海底調査をもとに兄ピエールとともに人類の起源や太古の人々と海との関わりを検証。地球の歴史をたどり、人類のあるべき姿を考察。

posted by アマサ at 19:05| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | イルカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月07日

イルカを見に行く

 職場のイベントで天草通詞島にイルカウオッチングに行ってきた。

運転すること片道3時間で通詞島に着く。そこからさらに漁船に乗って通詞島の沖合いに行くと、イルカが群れている。
船長さんの話だと、200頭ほどいるそうで、魚を追って群れているという。

 写真を撮ろうとするが、速すぎて、背びれか尾びれしか撮れない。数メートルの近さにまで寄ってくるようになった頃には電池切れと撮影は散々だったが、その分、目に焼き付けた。

ほとんど手を触れられそうな船べりにまで寄ってきたり、遠くでジャンプしてたり、絵に描いたような光景が何度もみられた。帰って調べたところ、種類は人懐っこさで知られるバンドウイルカだった。

とにかく、ここのイルカは人見知りしない。船で追いかけてるように見えても、自分から併走したり、先導したりしてることが多いようだった。船がつくる流れを利用してエネルギーを節約しているらしい。

 ジョン・リリー博士がイルカの知能は人間並みかそれ以上と言い出して以来、イルカは知的な存在で、人間と対等とすら言われはじめ、イルカセラピー以来神秘的な存在になり、はてはシリウスからやってきたという話まであるそうだが(^^;)、今日味わった感動は、野生動物と間近で接した時のものだと思う。

小笠原やバハマで一緒に泳げばまた違う感想を持つのだろうか?

海水を釜炊きして作ったというソルトファームの古代天日塩とカラシレンコンチップスを買って帰った。


西日本新聞ニュースによると

 通詞島沖合のミナミハンドウイルカの群れは、国内では珍しい「根付き」のイルカとして知られ、通年、この海域で生活している。五月からはイルカが出産期を迎え、寄り添って泳ぐ親子に出合うこともある。
 イルカウオッチング船は島原、天草の両方から出ており、海の穏やかな日ならかなりの確率で野生のイルカに出合えるという。問い合わせは島原半島南部漁協=0120(87)4642=か、熊本県五和町企画情報課=0969(32)1111=へ。

だそうです。
posted by アマサ at 19:43| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | イルカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする