聖線
地元以外ではあまり知られていないが、阿蘇外輪山内に聖線と呼ばれる一直線上に並ぶ寺社(聖地)が存在している。北から国造神社(北宮)ー阿蘇神社ー高岳山頂ー白川吉見神社ー清水寺である。
さらに、おおよそではあるが、このラインが示す方向には霧島神宮がある。
方位的には太陽の動きとも鬼門とも関連性はないが、風水でいうところの龍脈上に並ぶ聖地群と言えるようである。
阿蘇神社・北宮・霧島神宮の創建は紀元前とも言われ、高岳は阿蘇の最高峰であり、白川吉見神社の境内には白川水源があり毎分60トンもの清水が湧出ている。
九州に二つの高千穂があるのはよく知られている。宮崎県西臼杵郡と鹿児島の霧島山周辺で、天孫降臨の地はどちらか論争の種になってきた。
西臼杵郡の高千穂は国郡制以前、阿蘇・久住を含んでいた時期があり、阿蘇もかっては高千穂の一部であった。とするとこのラインは二つの高千穂を結ぶ直線でもある。
阿蘇神話
阿蘇神社には阿蘇12神と呼ばれる神々が奉られている。主神はタケイワタツノミコト。
高崎山(約628m)に腰掛けて別府湾で顔を洗った!と言われる巨人神である。
伝承をまとめると、神武天皇の孫であり、近畿より降って宮崎神宮を創建し、国見が丘で国見の呪術を行った後、阿蘇に入り、伯父である国龍神がいる草部吉見神社で従姉妹の阿蘇津媛を娶った。その後、現在の一宮町にある阿蘇神社に奉られた。
タケイワタツノミコトの父はカムヤイミミノミコトで、この神は神武天皇と三輪山の神の娘、イスケヨリヒメの間に生まれた3柱の神の一人で、 他の二人は前述した国龍神・ヒコヤイミミノミコトと後に緩靖天皇になるカムヌナカワミミノミコトである。カムヤイミミノミコトは「古事記」によれば多氏の祖先になる。
霧島神宮
御祭神はアメニギシクニニギシアマツヒダカヒコホノニニギノミコト(!)
通称天孫ニニギである。
宮崎・鹿児島の県境付近、霧島の高千穂の峰にある。ここは竜宮城かと言いたくなるくらい絢爛豪華な朱塗りの社殿である。周辺には霧島六社と呼ばれる神社群があるが、龍脈上にあるせいか群を抜いて繁栄している。
最も古い社殿は高千穂峰と火口の間の背門丘(せたお)にあったが、噴火で焼失、現在の霧島神宮近くの旧地霧島神宮古宮跡と呼ばれる高千穂河原に移されたが、噴火で度々焼失した。現在、高千穂河原には鳥居がポツンと立っており、その向こうに霧島の山々がひろがるという、神奈備信仰状態になっている。現在の社殿は18世紀に島津氏が寄進したもの。島津氏は琉球に侵攻した際、風水の技術を入手したと言われている。
霜宮と北辰信仰
九州は熊本、阿蘇郡役犬原に霜神社がある。
一般的には阿蘇、高千穂地方の鬼退治伝説の鬼、鬼八を奉ったものとされているが、その実態は北斗七星を奉ったものという説がある。
確かに七柱の天津神が奉られ、祭壇には七本の御幣、お供え物も七つずつされている。
社に伝わる話では、神武天皇の孫、建磐龍命(タケイワタツノミコト) が近畿から阿蘇に下ったとき、霜害がひどく五穀が熟さなかったため、民草の苦しみを憂えて、天津神を奉り、霜害がなくなることを祈ったことに起源にするとされている。
火焚き神事は15歳未満の少女が忌み小屋にこもり、60日間火を焚き続ける。
この儀式は8月19日に始まって秋の訪れを告げ、北斗七星が西北の空にもっとも低くかかる10月16日に終わる。
日本でレイラインと呼ばれる一直線上・三角形・時には星座を模した寺社の配置の一部は北辰(北極星)信仰に基づいている。そのルーツは中国・朝鮮より渡来した天文道・陰陽道にあり、神道、密教とも集合して時の権力者に用いられてきた。北辰信仰自体は民間にも広まり、全国にその痕跡を残している。また北極星の周囲をめぐる北斗七星もいつしか同一視され信仰の対象になった。
この北極星の神は陰陽の気の元である大極の分身とされ、正式な名は玄帝上帝といい、あらゆる悪鬼妖怪を退治する。
北極星を中心として正星163個と増星181個で中宮(紫微宮)が構成され、天帝の居場所とされている。
北斗七星の神は北斗星君と呼ばれ、生者や死者の善行悪行を調べ、悪行が多いものは地獄の王に処分させていた。
やはり「てめえらに明日を生きる資格はねえ!!
あたたた。」とか叫んで悪党を処分するのだろうか・・・。
除災招福、長寿の御利益があるとされている。
北極星を基準にした聖地は日本に限らない。四千年前の北の空ではりゅう座のツバーンが北極星だったが、エジプトのギゼーの大ピラミッドの「王の部屋」からは真北に斜めにトンネルが抜けており、この部屋の奥から正面に当時の北極星が見えていた。真南にもトンネルは抜けており、そこからはプレアデス星団が、見えた。そして、そのトンネルの口の高さは当時プレアデス星団が子午線を通るときの高さになっていた。
妙見信仰もまた北極星信仰の別名である。
八代妙見社天武帝白鳳9年(689年)中国の寧波から妙見神が亀蛇の背に乗って海を渡り、八代郡上北郷八千把村竹原津に上陸したのが始まりとされている。妙見祭は長崎諏訪神社・博多呂崎宮と並び九州三大祭りの一つとされている。
posted by アマサ at 19:27| 熊本 ☀|
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