日本国憲法第9条第2項に「国の交戦権は、これを認めない。」という有名な規定がある。
一般に軍隊や警察には交戦規定なるものがあり、いつ、どこで、いかなる相手に、どのような武器を使用するかを定めた基準が存在する。
軍隊といえどもむやみに人を殺傷していいはずが無いので当然である。
交戦権がなくて自衛権があるとされる自衛隊だが、交戦規定のようなものは存在する。
部隊行動基準という。
これによって認められない戦闘、殺傷行為は刑法との兼ね合いから、過剰防衛による刑事罰等に当たる。
刑事罰を心配していたら戦闘行動はとりようが無い、またむやみに戦闘行為に入られても困るので交戦権は無いのに交戦規定は存在するわけだ。
戦争というと、人を殺傷しても刑事罰とは無縁なイメージがあるが、そうでもないようだ。
イラク派兵の際には、自衛官に対してテロ・攻撃行為を行おうとするものに対して次の順序で対処することになっていた。
口頭による警告
銃口を向けての威嚇
警告射撃
危害射撃
隊員が身の危険を感じるような切迫した状況下で誤って民間人を殺傷してしまった場合、隊員が傷害罪・殺人罪に問われることはないと定められていた。
参考
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E6%88%A6%E6%A8%A9http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E6%88%A6%E8%A6%8F%E5%AE%9Aよくまあ殺さず殺されず無事に帰ってきたものだと感心する。
イラク派兵は国際法違反だとは思うが、戦場の真っ只中ですら自衛隊が専守防衛を貫いたのは、わずかな慰めではある。中東の人々はそう思わず占領軍の一員と思っていたかもしれないが。まるでガンジーのような軍隊だ。非暴力・非服従。(注、米軍以外にはね)
自衛隊員の規律と精神力は大変なものがあったと思う。
ゲリラ側はどう見ていたのだろうか?挑発しなければ無害な存在と理解していたのかいないのか、不思議と攻撃らしい攻撃はなかったようだ。理解していたとすれば9条に自衛隊は守られたことになる。
憲法9条が交戦権自体を否定したのは、たとえ戦争であっても人を殺傷すれば刑事罰の対象にしますよという意味があったわけだ。
一人殺せば殺人だが10万人殺せば英雄という言葉を完全否定したのが憲法9条。
哲学としてはすごいというかスジは通っている。
交戦権
憲法第9条第2項では、「国の交戦権は、これを認めない。」と規定していますが、ここでいう交戦権とは、戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって、相手国兵力の殺傷及び破壊、相手国の領土の占領などの権能(けんのう)を含むものです。
一方、自衛権の行使に当たっては、わが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することは当然のことと認められており、その行使は、交戦権の行使とは別のものです。
(防衛庁ホームページ)
つまりつい最近まで自衛隊員は戦闘で敵を殺傷した場合、緊急避難とか正当防衛が成り立たない限り、刑事罰の対象になる可能性が高かった。
2006年、防衛庁はROEを改定し、自衛隊法第95条に定められた「武器等の防護のための武器の使用」を根拠として、武器の使用を明確に任務とすることを決定した。これにより、自衛隊員が使用すべきときにためらわずに武器を用いることができるようになり、かつ、現場の自衛官が余計な政治的判断を迫られずに済むようになると期待されている。
(ウィキペディア)
(自衛隊法第95条)。この武器使用は、次のような性格を持っています。
(1) 武器を使用できるのは、職務上武器などの警護に当たる自衛官に限られること。
(2) 武器などの退避によってもその防護が不可能である場合など、他に手段のないやむを得ない場合でなければ武器を使用できないこと。
(3) 武器の使用は、事態に応じ合理的に必要と判断される限度に限られていること。
(4) 防護対象の武器などが破壊された場合や、相手方が襲撃を中止し、又は逃走した場合には、武器の使用ができなくなること。
(5) 正当防衛又は緊急避難の要件を満たす場合でなければ人に危害を与えてはならないこと。
http://jda-clearing.jda.go.jp/hakusho_data/2002/column/frame/ak143003.htm95条を応用した場合ですら『正当防衛又は緊急避難の要件を満たす場合でなければ人に危害を与えてはならないこと。』とある。
9条が無くなっった場合コワいのはこういう専守防衛的な性格も無くなっちゃうんじゃないかという点だ。
現在の自民党の改正案だと交戦権の否定の部分は完全に削られている。
posted by アマサ at 15:21| 熊本 ☁|
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