2010年09月23日

Big Fat Cat and The Mustard Pie (BFC BOOKS)



図書館で借りた本。「世界一簡単な英語の本」シリーズの一冊だけあって、本当に簡単だったが、なんか、パッとしない話で、本当にこれで終わりなのか?と疑問に思った。続きがあるなら読んでみたい。これでは主人公?のエドがかわいそうすぎる。
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2010年08月27日

「エンデの島」を読む



作者は元三井物産の社員だったそうで、元グローバル企業の社員がアンチグローヴァリズム的な小説を書いたことになる。利息というものが肯定されたのはせいぜいここ100年ぐらいのことらしく、それ以前はどの文明圏でも否定していたという。

経済はじつは愛の領域なんだよ。人が幸せになるためのものだ。ものをつくる喜びを味わったり、人の役に立つビジネスをやったり、コミュニティを支えたりするのが経済というものなんだ。」
(p.327)

そういう考え方をする経営者の下で一度ぐらい働いてみたかったが、現実には逆の人ばっかりだったなあとしみじみ思った(笑)ま、現実はそんなもんだ。

タイトルのエンデは晩年にグローヴァル経済を批判していた作家ミヒャエル・エンデのことで舞台になった島は八丈島がモデルらしい。
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2010年08月07日

「日本の配色」を読む



ここのところ色彩関係の本を図書館で借りてきて読んでいる。和風の配色というと地味なイメージが強かったがどうしてどうして、西洋に負けないくらい鮮やかな配色の伝統があった。被写体じゃなくて色彩が「和」の写真が撮れたら面白いと思う。
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2010年08月06日

「陰影礼賛」を読む



このエッセイが書かれた1933年(昭和8年)は日本が国際連盟を脱退し、関東防空大演習とかやってる年なんだけど、最近の日本人はアメリカのまねばかりしているとかドライヴウエーが山林を破壊してるとか、日本の夜は欧州のどの都市よりも明るいとかの記述があって、日本人は80年前から大して変っちゃいないような気がした。日本建築から歌舞伎・能楽・料理・着物に至るまで日本の美は闇の中の仄かな明かりの中でこそ際立つというのがよく分かった。
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2010年08月05日

白洲次郎・正子の夕餉



さすがに良いもの食べてるな〜というのと意外と普通というのと両方の感想を持った。ゲルメといえばグルメなんだがシンプルな料理が多くて嫌味な感じがないのがさすが。豪勢というより旬でヘルシーな食卓。
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2010年08月04日

「空想キッチン」を読む



2年ぐらい前に出た本の文庫化。図書館で借りて読んだ。
ハクション大魔王が好きな「ハンバーグ」は油で揚げてるので実はメンチカツのようなものではないかとかギャートルズのマンモスは輪切りにすると内臓がなくて全部肉だったりとかのツッコミが面白かった。何種類かは実際に作っておいしく食べてるのがすごい。キテレツ大百科の「お料理行進曲」はほぼ正しいコロッケの作りかただそうだ。

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2010年08月02日

「鏡の国のアリス」を読む



「鏡の国のアリス」といってもルイス・キャロルじゃなくて1970年代に活躍したSF作家広瀬正のほう。鏡は左右逆になるのに上下逆にならないのは何故かというのがなんとなく分かった気がした。上下というのも人間の主観というのは地上で生きてるとピンとこないのに気づいた。元々人間の眼は倒立像を写しており、それを脳が正像に変換している。頭が混乱する記述もあったが面白かった。
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2010年07月25日

「澁澤龍彦空想美術館」を読む



ギュスターヴ・モロー、ルドン、デルヴォー、エルンスト、スワンベルク等の絵画の紹介。シュルレアリスムは時代を超えるそうだ。シュルレアリスムの写真家というとマン・レイしか思いつかないが、探せばいっぱいいそうだ。

意識してシュルレアリスムの影響を受けたような写真家たち(その多くはもと画家)は今日では、美術画の外観を模倣した19世紀の「絵画的」写真家の数ほどにわずかなものである。1920年代のもっとも美しい作品群__マン・レイのソラリゼーションによる写真とレイヨグラフ、ラースロー・モホリ=ナジのフォトグラム、ブラガリアの多重露出の研究、ジョン・ハートフィールドとアレクサンダー・ロトチェンコのフォトモンタージュ__でさえ、写真史では傍系の業績とみなされている。写真の表面的リアリズムとされたものに手を加えることに専念した写真家は、写真の超現実な特性をもっとも狭い形で伝えた人たちであった。
(ソンタグ「写真論」P58)


http://itozaki.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-8555.html
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2010年07月19日

「人生の地図」



自由人?高橋歩氏の本。競争に負けない技術。個人としての実力があればこそ出来る生き方。カッコイイが大変といえば大変。他者に負けない技能があればどんな世の中でも怖くない。ただし健康が前提。
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2010年07月17日

床下の小人たち関係本



「借りぐらしのアリエッティ」の原作本 岩波少年文庫版と便乗本?
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2010年07月12日

「記憶汚染」を読む



架空戦記モノで知られる林譲治の人口知能と自意識をテーマにしたSF小説。ちょっと半村良の伝奇モノを思い出すような風味。最近何故かこのテーマの本をよく見つけて読む。”記憶と意識は不可分””「わたし」とは何か?”等ややこしい問題がいっぱい。軍隊の訓練は個人の情報量を減らすのが目的で、独裁国家は独裁者の情報処理能力に限界があるため、なるべく国民を規格化、単一化して情報量を減らそうとするのだというくだりが面白かった。個々人の情報処理能力が高ければピラミッド型組織は必要ないのかもしれない。
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2010年07月11日

「幻想絵画館」を読む



シュルレアリスムの鬼才、倉橋由美子の短編集
「リンゴの樹T」という作品の中に出てくるお菓子や飲み物が気になってつい検索してしまった。

apfelstrudel (アプフェルシュトルーデル)

リンゴ等を使った焼き菓子

vino mosto

発酵前のワイン

「リンゴの樹T」はクリムトの作品をネタにした短編
故倉橋由美子氏は英仏独西語に堪能だっただけじゃなく絵画や漢詩やジャズや能楽にも詳しいという途方もない人だった。唐突にそれらの用語が出てくるので、この人の小説は一々調べながら読むことが多い。
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2010年07月05日

「デカルトの密室」を読む



人工知能と自意識というSFとしては古典的だが、ある意味非常に現代的なテーマを扱っているミステリー仕立てのSF小説?難しいけど面白かった。人間の認識というテーマを掘り下げていくと、写真・カメラともつながってくる。人間の脳や眼を通さずとも世界は写真に写る。これをどう位置づけるかとかややこしい問題がありそう。
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2010年07月03日

「競馬の終わり」を読む



競馬を題材にしたSF小説。23世紀競走馬のサイボーグ化を目前にした生産牧場の憂鬱。生命や存在についての考察が面白かった。馬の安楽死の問題も出てくる。そういえば今日オグリキャップが死んだ。合掌。
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2010年05月19日

『絵画の「進化論」』を読む



写真の誕生以前、絵画は記録方法であり、物語や寓意を描くものだったが、ダゲレオタイプの出現以降、物の「見え方」や「あり方」を追求するものになり、空間や時間を記号に置き換えて表現するものに変容していった。セザンヌは複数の視点を画面に導入し、それはピカソやデュシャンに引き継がれて発展しカルダーやポロックのような現代美術に至る。「時間」を描く試みは写真の発展と影響しあっていた。一方スーラが始めた点描で空間を描く方法はゴッホやモンドリアンを経てリキテンスタインやウォーホールへとつながっていく。美術ってやっぱり理詰めの産物だったのかと妙に納得させてくれた本。絵画には一貫した流れが感じられる。では写真をどう位置づけたらいいかという疑問が残った。写真の場合、記録から始まって、工芸や報道が枝分かれしたり商業写真と現代美術が混ざり合ったりしてどうにも整理がつけにくい。それでもアートとしての写真の歴史はあるはずなので、資料を探したいと思う。
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2010年05月05日

「日本芸術写真史」を読む



久しぶりに400頁以上もある単行本を読み終わった。買ったのは随分前だったけど、根性なくて拾い読みで、今回やっと通して読んだ。写真史に関する疑問、特に日本の写真に関する疑問がかなり解決した。写真新世紀がなんでもありというのもよく分かったので、なんか撮りようはあるような気がしてきた。人形に写真を貼り付けたり、TVの画像を加工したりとかまで出てるってのはすごい。しかし、それってアートかもしれないけど写真の範疇なのか?まあそういうのは大好きなので大いにアリだとは思う。
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2010年04月22日

「白と黒でー写真と」を読む



 前半に出てきた海外の写真家たちはほとんど知らない人でよく分からなかった。後半の森山大道氏をはじめとする日本の写真家たちに対する論評は面白かったが、広告は今もそんなに力があるかな?という疑問も湧いた。1930年代に「世界は美しい」といわれ60年代には「世界は写真だ」と言われ、80年代には「世界は広告」だと言われたそうだが、今、世界は写真でも広告でもないように思える。ちょっと前なら「世界は情報だ」ぐらいだったかもしれないが、最近はそれも違う気がする。
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2010年03月29日

吉原はこんなところでございました



 かなり昔に買った本で古本屋に出す前にと思って読み返していた。お江戸は男女比のバランスが悪く、次男以下は結婚も出来ない時代ということで、どうしてもああいう場所が必要だったらしい。かなり緻密な擬似恋愛の設定がなされていて、独特の文化・風習があった。現代ではキャバクラとかホストクラブが擬似恋愛の場にあたるのだろうか?メイド喫茶も近いような気もするが、あれを擬似とはいえ”恋愛”と言っていいのかどうかよく分からない。最近じゃハーレム居酒屋とかガンダムバーとかなんだかよく分からないものまで出来てるそうで、擬似恋愛というより仮想空間というほうが当たっているようだ。現代の風俗はストレートな欲望のはけ口のイメージが強く、どうにも粋には遠い気がする。秋葉も変な方向に進化するんじゃなくて、旧吉原級の恋愛シミュレーションサービスでもやればいいのにと思うが、マジになる人が多そうで無理っぽい。旧吉原ではそういうのは「野暮」とよんで蔑み、遊び上手なのを「粋」と呼んでいた。とはいうものの現代のヲタと呼ばれる人々もバーチャルと現実の区別は案外しっかりついてるような気もする。マジになりそうで危険なのはむしろ生真面目なオッサンたちの方かもしれない。
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2010年03月12日

「アホの壁」を読む



 タイトルと作者の組み合わせが絶妙で思わず買ってしまった。色々と思い当たる節が多くて面白かった。人が何故意思に反してアホなことを言ったりしたりするかというと、自我(意識)と自己(無意識)にギャップがあるせいで、例えば麻生さんが散々漢字を読み間違ったのも実は読みたくない文章を読まされていたからだという。いわゆるフロイト的失敗というやつで、有名になった「村山談話を踏襲し・・・」の踏襲を”ふしゅう”と読んじゃったのも実は村山談話なんて腐臭をはなってるじゃないかと無意識が言わせたのだそうだ(笑)無意識の暴走みたいな話は結構、自分にも当てはまるところがあって参考になった。やっぱり、やりたくもない仕事って続かないもんなんだと妙に納得させられた1冊でした。
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2010年03月03日

5分で「やる気」が出る賢者の言葉



 斉藤孝さんの本は読みやすいし、説得力もあるんだけど、妙に軽い感じがするのは何故なんだろう?意外にも面白かったのが三島由紀夫の檄文。三島は、「自衛隊は違憲である」という。え!え!そんな馬鹿なと驚いたがよく読むと、こんな大事なものを違憲のままにしていていいのか!って言いたかったらしい。前提に限れば三島と共産党の意見は一致してたんだ。あ〜びっくりした。で、その後に「男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ。いいか」って言ってるんだけど、男一匹って言葉はどこから出てきたんだ?まさか本宮ひろしの漫画のはずはないが?

 で、斉藤先生は三島の「それでも男かあッ。それでも武士かぁッ。それでも武士かぁッ」って言葉の男や武士の部分を代えて自分に投げかけると元気が出ると言っている。例えば「それでも教育者かぁッ」「それでも課長かぁッ」「それでも父親かぁッ」・・・う〜ん、世の課長さんたちはこれで元気が出るのだろうか?社長さんならありかな。自分の場合「それでもブロガーかぁッ」「それでもフォトグラファーかぁッ」とか自分に言っても、どうしたらいいのか分からないが(笑)

 話を三島に戻せばあんまり男を強調するのは逆に女々しい感じがしないでもない。しかしこのフレーズは確かにすごい。当時の自衛隊員たちはこれを聞いて逆にヤジを飛ばしたというから、それもまたすごい気がする。
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2010年03月02日

『うしおととら』20周年が近い

『うしおととら』は藤田和日郎による日本の少年漫画作品。『週刊少年サンデー』(小学館)にて、1990年6号から1996年45号にかけて連載された。通称「うしとら」。


Wikipedia

 当時は水木さん以外に妖怪モノを書く人がいるんだ!って感じで読んでたけどスケールでかくて面白かった。蒼月潮、中村麻子、井上真由子は当時中学生だったから現在は30台半ばってとこか。この3人確か三角関係かつ親友だったように記憶しているが、その後どうなったんだろう?藤田マンガの特徴として最後は全員幸福になるはずだから、きっとなんとかおさまってるんだろうなとは思う。からくりサーカスでもなんとかなってたようだしね。うしおを評して作中で誰かがつぶやく「あいつだったらきっと何人の女の子の涙でも止めてやれるんだろうな・・」ってセリフがあったのをなんとなく覚えている。うしおは女たらしでもなんでもなく、むしろ晩生(おくて)のほうなんだが、本人気づかぬままモテまくっていた。三角関係に気づいたが最後、有頂天になるより途方にくれるタイプだから、その辺りを藤田先生が書いてくれたら笑えるのにと思う。藤田マンガの主人公はそういうのが多いが少年漫画としては非常に正しいような気がする。モテ期ってのは異性にガツガツせず何かに打ち込んでる時期だと思うから、うしおは一生自覚なきモテ期かもしれない。
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2010年03月01日

コンデ・コマを読む

 コンデ・コマ (Conde Koma) とは、明治時代に海外へ柔道を伝えて回った柔道家の前田光世がブラジルなど海外で名乗った通称でこの人の柔術が後のグレーシー柔術に発展していく。実のところマンガでしか知らないのだが、一番印象に残ってるシーンが、「そんなに恵まれない体なのに、どうして強いのか?」と聞かれて、頭を指差し胸を叩いて「こことここで闘うからだ」と答えるシーンだった。智恵と尊厳があれば、大抵のことは乗り切れるという意味に受け取り、久しぶりにマンガ読んで感動した。ハートがある人間は強いものだ。たとえ暴力等で尊厳が一時的に奪われてもプライドがあればそれは必ず再生する。心理学者のユングがアメリカ先住民の調査をしているとき、「白人は頭で考えるからダメなんだ」と言われ、では君たちはどこで考えるのかと聞くと「我々はここで考える」と心臓に手を当て胸を張ったという。人生の達人は明らかにネイティブアメリカンの方だった。
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2009年12月19日

シュリーマン 夢を掘り当てた人



 こっちの自伝を読んだのは高校に入った頃だったかな。シュリーマンに最初に興味を持ったのは、中学生ぐらいの頃、近所のお姉さんが貸してくれた「シュリーマン 夢を掘り当てた人」という伝記で、多数の言語をあやつり、商売で資金を作り、実在さえ疑われていた伝説のトロイアを発掘した男。未だにそういう面白そうな人生へのあこがれは残っている。
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2009年10月26日

「海底二万海里」を数十年ぶりに読む

 なんとなく文庫版の「海底二万海里」を読み返してみた。初めて読んだのは小学校低学年の頃だったかと思う。今、読むと全く違う印象だが面白いのは相変わらずだ。19世紀後半、明治維新のころの世界の海が舞台。帝国主義の列強がしのぎを削り、米国は南北戦争の頃。石炭で動く外輪船等が活躍し、描写されている当時の海の自然は豊かで美しい。学問の主力は博物学だ。この時代に生まれてたら探険家とか博物学者にあこがれたろうなと思う。写真の黎明期でもある。大型カメラを担いだ探険家たちが出現した時代でもあった。時代背景が分かるようになっただけでも大人になったんだなと思う。

 ノーチラス号の性能がとにかくすごい。当時はまだ実用的な潜水艦はなかったはずだが、初期の空想科学小説らしく意外とリアルな部分もある。例えばノーチラス号の全長が70メートル排水量約1500トン。これは昭和の日本海軍の中型潜水艦ろ号潜水艦とほぼ同じだ。もっとも水中速力およそ50ノット、潜水深度一万メートルOKというのは、今日の原子力潜水艦を軽くしのいでいる(笑)ものすごい航海性能がある一方で、武装は衝角のみ、魚雷もソナーもなし。体当たりで当時の軍艦を沈めたりしているし、潜望鏡もないので、よく他の船に事故でぶつかる。シュノーケルらしきものの描写あり。推進装置は不明。膨大な電力を発生させており、地球一周とか簡単に出来る航続距離を持つ。

今、読むとヴェルヌの作品は殆どが『行きて帰りし物語』になっている。「十五少年漂流記」「地底探検」「80日間世界一周」等がそうだ。「地底探検」にはミサイルらしき兵器まで登場するから先見性もすごいものがある。SF小説を読まなくなって久しいが、読んでいた当時と全く違う読み方になるから、たまに読むと面白い。SFはむしろ大人の娯楽なのかもしれない。

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2009年10月13日

「二時間のゴッホ」を読む

 正直ゴッホというと悲劇の画家というイメージがつきまとい、なんとなく敬遠していたが、これはいい本だと思った。本当に二時間で読めるわりに中身が濃い。古本屋で300円では安かった。著者はプロの版画家の人。

ゴッホの症状についても色々記されているが、強迫神経症と統合失調症とうつ病の複合みたいな感じでさぞつらかったろうと思う。現代みたいに良い薬や治療施設があるじゃなし、本当に大変だったはず。
どれか一つでも大変なのにその複合症状ではたまったものではない。

一番面白かったのはゴッホの日本好きに関する記述で、浮世絵には影が描かれてないものが多いことから、日本は光に満ちた国だと思い込み、南仏のアルルこそが欧州の日本だと決めて移住していったくだりだ。そんなわけねーだろって突っ込みたくなるが真剣だったらしい。けど、このくだりを読むまでゴッホの絵に影がないのに気がつかなかった。「ひまわり」とか確かにない。その割りに違和感を感じなかったのも不思議だ。逆に南仏のアルルってどれだけ陽光に満ちた土地なのかと興味が湧いてくる。意識しなくても影がなく、天然浮世絵が描ける陽射しってどんなものなのだろう。

ゴッホの絵は病気の副産物ではなく、非常に理論的に描かれたものだと分かり、画家としてのすごさを再認識させてくれた本。


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2009年09月20日

「物語論で読む村上春樹と宮崎駿」を読む



 世界は一度ブッシュと小泉の物語に巻き込まれてポストモダン化し、今度はオバマと鳩山の物語で近代に戻ろうとしているようだ。

どちらにしても「主体」を取り戻さないと仕方なさそう。でないと民主主義自体が立ち行かない。

今からまた「近代」か・・やれやれだ。
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2009年09月10日

「なぜ日本人は劣化したか」 (講談社現代新書) 香山リカ を立ち読みする

 なにかと批判も多い本のようだが、立ち読みする分にはちょうど良かった。主にモラルの劣化についての本だと思う。90年代に入ったころから「劣化」は始まったらしい。著者の周囲ではお医者さんたちが、職場で堂々と株や投資の本を読み始めるといった現象が起き始めたという。言われてみると晩年の司馬遼太郎が銀行が儲けに走るのは異常だと嘆いていた頃で、価値観の大きな変化が起きていた時期だ。

 社会の上位層はその頃まで公共性を自覚し、私利私欲に走ることを抑制していたが、そのブレーキが壊れた時期だった。一部の政治家や役人は既に私欲に走っていても、少なくとも医者や銀行にまで、それは及んでいなかったが、その歯止めは冷戦の終了と共に崩壊していった。対抗勢力を失った資本主義は初期資本主義への先祖がえりを起こし、労働条件はみるみる悪化し、弱肉強食、自己責任論、金銭至上主義が大流行した。社会の上も下も関係なかった。一般のサラリーマンや主婦までが投資に走り、さながら下克上の空気が蔓延した。

 著者がいうところの「萌え」文化へのダブルスタンダードはそこから生まれた。東京都知事や首相がオタク文化を産業として奨励する一方で、秋葉の路上ではオタク達が警官から職務質問を受けていた。
つまり、モラル的にどうよと思いつつ金になるならOKという風潮が行政にすら発生した。著者はこれをモラルの「劣化」として捉えている。

 下克上の世の中は下が上を攻撃するようなイメージがあるが、そうでもない。弱肉強食ということは上も下を容赦なく攻撃する時代ということだ。差別化、不当な評価、責任の転嫁等は当たり前になっていく。正常な競争の世の中ではリーダーは人望を求められるが、下克上の世の中ではリーダーはいともたやすくチンピラ化する。チンピラには人望はないから信頼より力による支配を望むようになる。上がそれでは下のモラルも当然「劣化」する。広く人を育てようという意識もないから学力等も劣化する。かくしてモラルも能力も「劣化」した日本が誕生した。

著者はあまり「劣化」の原因について語ってなかったが、多分こういう意味だと思った。

 で、最近は米国ではオバマ政権が誕生し、日本でも麻生さんが最期のほうで、行き過ぎた市場原理主義とは決別すると言い出し、民主党にいたっては「友愛」を旗印にして行き過ぎた競争社会をなんとかしようとしたがっているのが、今の状況。2010年代は競争から友愛の社会になってうまくいくのだろうか?それとも、社会主義、新自由主義が失敗したように、「友愛」社会も問題が噴出してくるのか?なってみないと分からない。愛憎は背中合わせという言葉が浮かんでふと背筋が寒くなったりもする。何事も行き過ぎはよろしくないとは思う。

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2009年04月26日

「がっかり力」を読む

 ああ、この人は脱力型阪神ファンなのだなーと妙に納得、自分も「ガンバレタブチ君」時代というか、トホホ街道まっしぐらの頃の阪神のほうがなじみがある。熱血はなんか似合わない球団だよねー。

ましてや他球団の主力引き抜き型、西の巨人化した阪神には興味すらわかない。

全体を貫いているのは70年代型カリカリー(森田健作的熱血、巨人の星的精神論、イデオロギー至上主義、理想主義、ナショナリズム)の否定。即ち80年代型ガッカリ(脱力、不真面目、現実主義、イデオロギー原理主義の否定)

なんか力尽きてる感が強く、世代的にもなじみの発想だが新しさは感じない。だが、いつの時代も安全装置としての「がっかり力」は使い方次第と思う。

シラケ世代、谷間の世代といわれる管理人にとって「がっかり力」だけは豊富なことを思い出させてくれた。

そうだね仕事もカリカリしなくなったころ決まるかもね。何事もそうだったような気がする(笑)


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2008年08月31日

マン・レイの写真集を読む

マン・レイ (美の20世紀 11)
マン・レイ (美の20世紀 11)


 マン・レイの作品はいくつか知っていたが、どういう人かは知らなかったので面白かった。作品の背景は意外と個人的なものだったりするようで、有名な「破壊すべきオブジェ」という作品は失恋がきっかけで元恋人の写真をバラバラにして目の部分をメトロノームに貼り付けたものだという。そこまでストレートなものとは思わずもっと深遠なものかとずっと思っていた。芸術って案外そういうものなのかなと、妙に納得してしまった。



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2008年08月01日

PLUTO6巻を読む

PLUTO 6―鉄腕アトム「地上最大のロボット」より (6) (ビッグコミックス)
PLUTO 6―鉄腕アトム「地上最大のロボット」より (6) (ビッグコミックス)

他の花の養分を全て奪って、砂漠にただ一輪咲く最強のチューリップ。
自分には出来ない生き方だと思った。作者は管理人と同じ年齢らしい。


posted by アマサ at 21:10| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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