その一つは馬刺しを食べる風習、もう一つが神社の神様である。
肥後一ノ宮、阿蘇神社の祭神は健磐龍命(タテイワタツノミコト)一方長野には武五百健命(タケイオタツノミコト)がおはすという。
微妙に違うようだが、宮内庁にある異本阿蘇氏系図には健磐龍命は武五百健命の別名で、崇神天皇の代に科野(しなの)国の国造に任命され、肥後国の阿蘇神社に祀られているとあるそうだ。
武五百健命(タケイオタツノミコト)には二人の息子がある。
兄の速水瓶玉命(はやみかたまのみこと)は阿蘇市手野の国造神社(北宮)に祀られている。最近、台風で倒れ、一部が保存されている「手野の大杉」は樹齢2千年と言われ、速水瓶玉命(はやみかたまのみこと)のお手植え!とされている。
弟の健稲背命は科野国造に任命され、諏訪神社を祭る金刺(かねさし)、神(みわ)氏へつながる。
一説によると、長野県小郡部に安宗(阿蘇)という郷名があり、長野の名家、金刺(かねさし)氏、他田(おさだ)氏の祖先は多氏で阿蘇氏と同祖と言われる。近畿の三輪山(みわやま)の主と言われたのもまた多氏である。
穂高神社があるのは安曇郡であり、安曇族と言えば古代の海人族である。現代では海のない長野県だが、縄文時代には、縄文海進といって海面が現在より高く、今よりはるか内陸まで海が入り込んでいたと言われている。
阿蘇には海幸山幸の神話に出てくる満珠干珠があったという神社が三つもあり(阿蘇神社、国造神社、草壁吉見神社)、乙姫と言う地名や乙姫神社もある。
また田んぼに行くことをハマに行くといい、阿蘇神社のおんだ祭りなどで唄われる「お田植え唄」では
吹けや浜風なびけや竹の若立ち・・と唄う。
長部日出雄の「天皇はどこから来たか」(新潮社)には、縄文時代の地図を作るとすると、現在黄緑色に塗られている平野部はほとんど海だったことになり、天皇家もあるいは海人族の一つだったかも知れないとある。
平野部を海として地図を見ると、宮崎県や熊本県も陸の孤島ではなくなるのである。そう考えると九州各地に残る神宮皇后伝説や邪馬台国説も、面白くなってくる。
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