2005年05月22日

津軽の北斗七星

平安京と桓武天皇
桓武天皇
道鏡追放後、再び藤原氏の天下がやってくる。白壁王(後の光仁天皇)を擁立し、その皇子の山部親王が桓武天皇である。桓武は長岡京に遷都を行うが、早良親王の怨霊騒ぎもあり、十年で遷都を決意する。

比叡山
長岡京で怨霊に悩まされた桓武天皇は、平安京を霊的要塞にせんと決意する。
北に船岡山・鞍馬山・貴船山、南に巨椋池、東に鴨川、西には山陽・山陰道と四神相応の地を選び、鬼門の方角には比叡山延暦寺に安倍清明の屋敷。東西南北に岩倉と大将軍神社を配置。
賀茂川べりには幸神社、上賀茂神社、下賀茂神社を造営し直し、裏鬼門には大原野神社、城南宮、、南東には剣神社、北西には愛宕神社、洛西には松尾大社、洛北の狸谷には不動尊。等々。
こうなると、ほとんどビョ−キである。

坂上田村麻呂と津軽の北斗七星
桓武天皇のビョ−キは平安京周辺だけでは修まらなかった。坂之上田村麻呂を東北に派遣したのである。そして津軽に”地上の星”が出現する。50キロに及ぶ北斗七星の形に並ぶ神社群である。

乳井神社、鹿島神社、岩木山神社、熊野奥照神社、猿賀神社、浪岡八幡宮、大星神社の七社。

天台密教最強の防御術・北斗供を津軽まで行って実行しなくてはならない理由はなんなのか?いったい桓武天皇はなんと戦っていたのか?。

各神社の地下には宝剣が埋まっているという。

天台宗の守護神・日吉大社の北斗七星
三輪山から真北にラインを引いていくと日吉大社にいたる。その西本宮に大神神社の祭神、オオモノヌシが勧請されている。

日吉大社は古代から比叡山の麓にあり、山上には延暦寺が788年に開かれた。それ以降、天台宗の鎮守神となり、山王権現・日吉権現と呼ばれるようになる。延暦寺と日吉大社の連合は山王神道を生み、鎌倉時代以降は山王一実神道となった。

日吉大社の社殿には「七」がつきまとう。山王七社、中七社、下七社があり、日吉山王祭では七基の御輿があらわれる。延暦寺の史料には、天においては北斗七星、地においては山王七社とあるという。山王北斗一体図には空に北斗七星、地上に比叡山と山王七社が描かれている。これは北辰信仰に基づき、比叡山を地上の北極星、王者とし、日吉大社を地上の北斗七星、王者の乗り物にみたてたものと思われる。



posted by アマサ at 09:52| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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