2005年05月21日

平城京と太陽の道

伊勢レイライン
水谷慶一著「謎の北緯34度32分をゆく」に「太陽の道」が紹介されている。

奈良の三輪山の麓、大神(おおみわ)神社境内を抜け、北へ向かう山の辺の道沿いに桧原(ひばら)神社がある。この神社は元伊勢と言われ、天照大神を三輪山から伊勢に移したとされている。本殿も拝殿もなく、三つ鳥居ごしに御神体である磐座(いわくら)を拝む。崇神天皇が天照大神を奉り、草薙の剣と八咫の鏡を安置したという伝説がある。

この桧原神社を中心に東西に直線を延ばすと、東に伊勢斎宮、西に淡路島の伊勢の森があり、線上には他にも卑弥呼の墓と言われる箸墓や室生寺、長谷寺の大石、倶留尊山のクルソ仏、神島等多くの寺社・古墳等の聖地が連なっている。

伊勢斎宮
「日本書紀」に崇神天皇の6年、疫病、百姓離散等がおこり、オオクニヌシと共に三輪山に奉られていた天照大神を皇女トヨイスキリヒメが、ヤマトの笠縫村で奉るようになったのが、伊勢斎宮の始まりである。
また垂仁天皇の6年倭姫が斎宮となり、天照大神が静まる地を求めて巡行をはじめ、いわゆる「倭姫伝説」となる。

春日
三輪山は春分の日に真東から登る太陽を遥拝する聖地であり、三輪山の西側一帯を春日国(かすがのくに)と呼んでいた。
三輪山の西に多神社がある。多神社を中心に南北に直線を引いてみると北に鏡作神社、南に畝傍山がある。多神社はかって春日の宮と呼ばれ、春分の日には三輪山を遥拝し、あばれ御輿をだした。平城京の東にも春日大社があり、かっては多氏の聖地だったが、その後中臣氏が氏神を奉る。中臣氏の氏神といえばタケミカヅチ、鹿島に奉られている神で藤原氏の氏神である。

平城京
藤原京から北に直線を引いていくと平城京に突き当たり、さらに北には平安京がある。平城京の西には西大寺、生駒山、東に東大寺、三笠山、北に高山、奈良山丘陵がある。風水では霊気は北から流れてくるとされ。都は新しい霊気を求め、北へ北へとスライドしていった。


東国三社
「古事記」の有名なシーンの一つに、タケミカヅチとタケミナカタが戦う相撲の事始めがある。勝ったタケミカヅチは鹿島神宮に、負けたタケミナカタは諏訪大社に奉られている。そして、この二つの神社は東西軸で結ばれている。鹿島神宮は香取神宮、息栖神社と直角二等辺三角形を形作っており、香取の祭神はフツヌシノカミ、息栖神社は天鳥船を奉っている。


鹿島神宮の北東30度には明石の浜があり、夏至の日の太陽はこの方向から昇ってくる。また南西30度の方向には富士山があり夏至の入り日は富士の方向に沈む。真西には諏訪大社がある。
この種の日時計は世界中にあり、ペルーのナスカ高原には夏至と冬至の長い直線があり、夏至の日のストーンヘンジでは石の通路の直上から朝日が昇ってくる。

熊野の二等辺三角形(トライアングル)



posted by アマサ at 18:18| 熊本 | Comment(0) | TrackBack(1) | 神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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