2005年05月20日

飛鳥レイライン

天武天皇と壬申の乱

大化の改新
蘇我氏の専横に危機感を感じた中臣鎌足は、中大兄皇子と組んでクーデターを起こす。

奈良県桜井市多武峯(とうのみね)山頂に談山神社があるが、中大兄皇子と中臣鎌足が入鹿を倒す協議を行った「談所の森」から、その名称はきている。祭神は藤原鎌足。

天武天皇の時代に妙楽寺として創建。文武天皇の701年聖霊院を建て鎌足の木造を安置する。元々神道・道鏡色が強かったこともあり、明治の神仏分離の際、妙楽寺は廃止され、聖霊院が神社となった。比叡山の末寺として同じ藤原氏の氏寺である奈良の興福寺と抗争した歴史を持つ。

レイライン技術は春日と三輪の主、多氏から春日大社を氏神とする藤原氏へ、藤原氏から平安京の守護者で、三輪山の神を勧請した日吉大社を擁する天台宗へ受け継がれていったと推測できる。

クーデターに成功したものの、天智天皇の死後、その皇子の大友皇子は大海人皇子を邪魔と見て挙兵。壬申の乱となり、勝利した大海人皇子は天武天皇となる。天武天皇は「天文や遁甲をよくされた」と日本書紀にある。陰陽道の流出を恐れて陰陽寮を作ったのはこの天皇である。

藤原京
「新益京」(しんやくのみやこ)とかって呼ばれ、天武天皇によって調査され、持統天皇により、持統5年の冬至に近い甲子(きのえね)日、一白水星の吉日に地鎮祭が行われた。周囲を大和三山に囲まれた龍穴の地に築かれている。


巨石建造物
藤原京を中心とした南北軸上に巨石遺構「鬼の雪隠」がある。
鬼の俎、鬼の雪隠と呼ばれ、飛鳥から近鉄吉野線あすか駅に向かう道路上にある。道路上にあるものが俎、下にあるものが雪隠と呼ばれている。
もともとは古墳の石室だったもので、王か大臣もしくは大徳・小徳クラスの人物のものと言われている。

高松塚古墳
藤原京から南に直線を引くと鬼の雪隠を通り、高松塚古墳につきあたる。発見は昭和47年。七世紀から八世紀初頭、持統天皇、文武天皇、元明天皇の頃に造られたものと推定され、天井の星宿図は中央に紫微宮があり、四周に二十八宿の星座、周囲の壁には四神図が描かれている。



posted by アマサ at 19:03| 熊本 | Comment(0) | TrackBack(0) | 神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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