いまは昔、河童の先祖はパミール山地の一渓水、支那大陸の最奥、中央アジア新琵省タクラマカン砂漠を流れるヤルカンド川の源流に住んでいました。寒さと食糧不定のため、河童たちは二隊に分かれて大移動を開始しました。一隊は頭目貘斉坊(ばくさいぼう)に率いられて中央ヨーロッパ、ハンガリーの首都フタペストに到着し、この地に棲息しました。頭目九千坊は、瑞穂の国日本をめざし部下をひきつれて黄河を下り黄海へ出ました。そして泳ぎついたところは九州の八代の浜です。仁徳天皇の時代、今からざっと干六百年の昔です。九千坊一族は、球磨川を安住の地と定めました。
http://snkcda.cool.ne.jp/mame/3tanusimaru/2kusenbou.html
仁徳天皇の時代というと4世紀か。今朝の熊日新聞に地元の人が民俗学の教授に「球磨川に河童は今でもいますか?」と聞かれ、「うじゃうじゃいます」と答えたところ、河童を見たいというドイツ人留学生を紹介された話が載ってて面白かったので、ちょっと検索してみた。
河童が上陸したという熊本県南部の八代(やつしろ)ってところには妙見神が上陸したって伝説もあって、昔から大陸から色んなものや人がやってくるところだ。妙見祭は九州3大祭りの一つになっている。
河童の話は地名や人名が妙に具体的なところがミソかな。ありえん話でも実在する地名や人名が入ると変なリアリティが出てくるのは文章のテクニック?この後、河童は秀吉の武将、加藤清正の怒りをかって、筑後川に逃げ、そこから全国へ散って行くんだけど、筑後川沿岸にもちゃんと河童伝説があるのは不思議だ。