稲田悦子 10位 12歳で五輪に出場、ヒトラーを驚かせる。当時の身長127センチ。
4年後の札幌冬季五輪は「メダル確実」と騒がれるも戦争で大会が幻となる。
2003年急逝 倒れる直前まで、神宮スケートリンクに立っていた。
1960年 スクォーバレー 上野純子 17位
1964年 インスブルック大会
福原美和 5位
稲田悦子に師事。全日本フィギュアスケート選手権6回優勝(うち第37回から第41回までは5連覇)。世界選手権5位となり日本人女性初の入賞を果たしている。
冬季オリンピックはスコーバレーオリンピックとインスブルックオリンピック の2大会に出場。インスブルックオリンピックではフィギュアスケートにおいて日本女子選手初の冬季オリンピック入賞(5位)を果たしている。
コーチ転向後は八木沼純子を育てた。(ウィキペディアより)
1968年 グルノーブル 大川久美子 8位
1972年 札幌 山下一美 10位
1976年 インスブルック 渡部絵美 13位
1980年 レークプラシッド 渡部絵美 6位
渡部絵美
1976年 - インスブルックオリンピックに出場。女子シングル13位で終わる。
3年後の1979年オリンピック選考の世界フィギュアスケート選手権で銅メダル獲得(3位)レイクプラシッドの出場権を獲得した。
1980年 - レイクプラシッドオリンピックでは期待を集めるも6位であった。
現役時代はジャネット・リンの現役時と重なっていたため『日本のジャネット・リン』と呼ばれていたこともあった。
レイクプラシッドオリンピック終了後にアマチュア引退、アイスショー等で佐野稔と一時期ペアを組んだり、ジュニアの育成に力を入れていた時期もあったが現在はタレント活動が主である。
若い世代には最近の毒舌な発言により『単なるうるさいおばさん』と思われがちだが、ある意味現在の女子フィギュアの基礎を築いた点では評価されるべきである。(全日本選手権8連覇の記録はあの伊藤みどりとタイで現在も破られていない) (ウィキペディアより)
1984年 サラエボ 加藤雅子 19位
1988年 カルガリー 伊藤みどり 5位
1992年 アルベールビル 伊藤みどり 2位
伊藤みどり
身長145p。 アルベールビルオリンピックの女子フィギュアスケート銀メダリスト。“ジャンプの伊藤”として世界的に名前が知られ、全日本選手権8連覇、女子選手として世界で初めて公式戦でトリプルアクセル(3回転半)を成功させるなど、女子フィギュアスケート界に数々の金字塔を打ち立てた。伊藤の突出したジャンプ技術は、それまで優雅に氷上を舞う芸術だったフィギュアスケートを、鍛え上げられたアスリートが技を競い合うスポーツへと変革させた。2004年3月25日、世界フィギュアスケート「殿堂」入り。(ウィキペディアより)
1994年 リレハンメル 佐藤有香 5位 ケリガン襲撃事件で大騒ぎの大会
1994年に世界選手権で優勝したあと、プロへ転向。主に米国のアイスショーで活躍し、北米では非常に人気がある。1998年からペアを始め、その相手であるジェイソン・ダンジェンと結婚。エッジで氷を削る音がしない「パンにバターを塗るような」とても滑らかで流れるようなスケーティングと、ステップの技術毒舌には定評がある。(ウィキペディアより)
1998年 長野 荒川静香 13位
トリノの女王荒川も初めてのオリンピックは何がなんだか分からないうちに終わったんだそうだ。
2002年 ソルトレークシティー 村主章枝 5位
2002年のソルトレイクオリンピックでは不利な滑走順の中、5位というすばらしい成績を残す。ショートプログラムは点の出づらい全体の2番滑走。クリーンな演技を見せるが7位と惜しくも最終グループ入りを逃してしまう。フリースケーティングでも抽選でショートプログラム7-12位の中の最初の演技となってしまうが、すばらしい演技を見せ最終的に5位となった。
世界選手権で2002年、2003年大会で連続して3位銅メダル。伊藤みどり以来となる日本人選手としては2人目の複数年メダル獲得選手となった。(ウィキペディアより)
2006年 トリノ 荒川静香 優勝
得意のY字スパイラルの際、3秒以上同じ姿勢を保つため、ワンアイスクリーム、ツーアイスクリーム、スリーアイスクリームと数えていたそうで、しかもショートプログラムのときは声に出していたという。
よほど我慢していた?
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